これってやはり化石? 私のライフスタイル!(2)

田舎ぐらし9年目、手作り大好きシニアです

東日本大震災から3年 … 当時の自分を振り返ってみると

3年前の今日、私はトトと初便で羽田から鹿児島へ向かった

お昼ぐらいに入院中の父を見舞い、夕方前に実家に到着

着替えたり 荷物を解いたりしていると テレビをつけたトトが慌てて寄ってきた

東京が地震で大変なことになっている

テレビは東京湾に面しているどこかでもうもうと煙が上がっていて 地震から起きた火事の様子を映していた

プーさんは初めての海外出張に出て不在

お嫁ちゃんとは電話不通 息子とも電話もメールも不通

夜になって 息子からお嫁ちゃんや子供を心配しているメールが入ったが 状況はよくわからなかった

やっと通じた電話によると 息子宅近辺は停電、息子は帰宅手段を失っていた

停電で暖をとれずに寒いというお嫁ちゃんに 我が家に行くことが出来るなら非難するようにと言った

やっと通じた管理センターの話では 停電にはなっていないということだったので バスかタクシーで5キロ足らずの距離なので移動したらと言ったのだった

食料もたくさん残っていたし 非常用の2リットルのペットボトルの水は常時1ダースは置いていた

当時1歳になったばかりの孫ちゃん2と5歳半だった孫ちゃん1とお嫁ちゃんの3人で停電で真っ暗な中、暖も取れない状況を不憫に思ってのことだった

ところがバスは走っているものの 運行が乱れていて タクシーはなかなか通らず お嫁ちゃんは自転車の前後に二人の子供を乗せて 我が家へ向かったのだった

無事にたどり着いたものの エレベーターが動いていなかったという

地震のあとの安全点検がその日のうちに出来ていなかったらしい

高層マンションの中程にある我が家まで階段で上がらざるをえなかったのだが 1歳の赤ん坊を抱いて大変だったと思う

ガスも復旧させてお風呂に入って休むことが出来て 事情をよく知らなかった私たち夫婦はよかったと思っていた

ところが、明け方我が家にたどり着いた息子から 大剣幕の電話が入った

なんて無茶なことをさせたのだ と言う

余震が続いている中で 夜に自転車を二人の子を乗せて走らせるなんて 思慮がなさすぎるじゃないか

何もなくてたどり着いたものの 二次災害に巻き込まれたりしたら どうするつもりだったのか

息子の怒りはなかなか収まらなかった

良かれと思って言ったことだったが、息子に反論は出来なかった

九州の南端にいた私たちには 地震の後の余震のこととか 状況はよく理解できていなかった


その後 電池がない 水道水が危ないらしいのに 水が買えない etc

必要と思われるものをせっせと送ったのだった


あれからあっという間の3年だった

被災した人々のことが ここ連日テレビや新聞で報道されている

でも受け止めての私は 何か違うんじゃない その報道の仕方は と思ってしまう

東北から目を背けているわけではない

被災し 今でも避難生活を続けている人々をほんとに気の毒だと思う

一昨日は 東日本大震災復興のためのチャリティーコンサートに出かけた

私にできることは 何だろう

もう一度考えてみたい