
南洲墓地公園から眺める桜島
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14日、月一のベス🐕🦺のお手入れ日に

入館料は大人が200円
館内は常設展、企画展とも撮影禁止
ジオラマや映像などもふんだんにあり、小学生もわかりやすい展示
流石に全て知ってはいるものの、関係する書なども展示されていて興味深いものでした
その中に、口語体でわかりやすい一文があったので以下に抜粋
西郷従道の妻清子の話:
京都の坊さんで大変勤王の志の篤い月照上人は、吉田松陰が幕府によって捉えられた時、その書簡から勤王の士として暗躍していたのがわかり身の危険が迫ってきたので、近衛家から南洲様にかくまってくれるようにと頼まれました。
南洲様や海江田信義さんが付き添って京都を去られたのですが、結局は薩摩に行くのが一番安全だろということになって、南洲様が先に立って薩摩藩にこのことを願い出たのですが、藩も幕府ににらまれることを嫌って月照上人を保護することを許さなかったのです
投身される直前、安政5年11月15日の夕刻に不図、家に帰っておいでになり、雑談の中に先祖の毎日を教え墓参を怠らないようにと語られ、妹のヤスさんに「今夜は一番よか着物を出してくれ」と申されて、とっておきの着物と薩摩殿様で南洲様を大変可愛がられた島津斉彬公からご拝領になった肌着とを召され、何の理由も言わず、出先も告げられずに出掛けられました。
従道(当時は龍庵)は兄さんの様子が気になったので尾行され、家から一里余り先の海岸の方へ行かれたことは見届けラれましたが、どうしょうもなかったとのことです。
南洲様はこの時は年老いたお祖母様と弟妹さん達に断腸の思いで永訣に来られたのだと思いますよ。
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元々口数は多かなかった西郷は、入水の事があってから一層寡黙になり、何か思い詰めているとしか思われなかったので、大久保などは西郷が月照の後を追って身の始末をつけるかもしれないと思い、弟の吉二郎にそっと語って、刃物類を全部、西郷の目につかない所に隠させたとか
小さな顕彰館の中の、小さな企画展でした
当時の書が数多く展示されていて、説明もわかりやすく、見応えのある企画展でした
私のように歴史音痴には打ってつけ
その時の記憶に肉付け出来たような企画展でした
顕彰館を出て、同じく敷地内の南洲墓地へ



トトさんが、他にも色々と墓碑を読み上げながら説明してくれて
その時は理解していたのですが、もう右から左へと流れ去ってしまいました😓


ベス🐕🦺と暮らすようになってから、不思議と猫も寄ってきます
この後墓地の後方にある竹林公園へ

石の門付き

石碑があります

公園の由緒の説明が
